HK CINEMA LABO 映画と猫。ときどき雑記帳

映画ときどき猫。音楽、パソコン、趣味

朱麗葉興梁山伯/ジュリエット・イン・ラブ

朱麗葉與梁山伯

STORY

茱迪は(サンドラ・ン)乳がんで乳房を失い、今は年老いた祖父と二人暮らし。ある日茱迪の働くレストランでうだつの上がらないチンピラ、佐敦(フランシス・ン)と出会う。佐敦と茱迪は偶然居合わせた病院で、ヤクザのボス(サイモン・ヤム)が愛人に生ませた赤ん坊を預かることに。 

赤ん坊を通して疑似家族となり心安らぐ日が続く、だがその束の間の日々が終わりを告げ・・・

REVIEW

もう、ヤバイ。

この作品がジャンルでいうところの恋愛のカテゴリーに入るならば、わしの中で今まで不動だった「ラブソング」を抜いたわ。

それにしても葉偉信監督は、気持ちを優しくさせてくれる作品を上手く作り出すなぁ。

以前、日本語字幕のないまま鑑賞したとき、「これ日本語字幕付いていたら、かなりはまるだろうぁ」なんて思っていますた。

今回、字幕付きで鑑賞する事ができますた。ちゃんと意味が理解できて鑑賞すると予想以上に素晴らしい。

基本的にラブストーリーっていい作品だなぁとか思っていても、号泣していても、もう一人の自分がどこかで冷めた視点で観ている事があって、結局は他人事のように思えてしまう所があった。

この作品は感動したとか涙が出たとか、そういった事はなかった。でもね、凄く凄く自分の中の奥底にある感情をグッと捉まれて頭から離れられない。なんか、揺さぶられた。心の痛みや想いが素直に伝わったからだと思う。

物語は、家庭も乳房をも失いただただ日々を過ごす女と家族に恵まれず前に進むこともできないチンピラが出会う。そしてヤクザのボス(サイモン・ヤム)の子供をある事情で預かることになる。ささやかな男と女の軌道はこの赤ん坊をきっかけに始まる。

全体的に淡々と物語は進む。セリフも少なく、どこか物悲しい雰囲気を醸し出す。

子供を預かり、共に過ごす事で二人は距離が何となく近づいていくんですね。でも、その束の間の日々もやがて終わりを迎え男と女は元の暮らしに戻る。

その描き方にすら起伏があるわけではない。でも、この二人の微妙な距離感が堪らない気持ちにさせるんだよなぁ。

そして、人生を投げようとする女の為に男は走り出す。

元々、男はどこか人生を諦めている所があった。だから弟分が金でヘマをして、自分も危ない状況になっても「構わないさ」と言う。それは理解ある言葉のように見えて、実は自分がどうなっても構わない、どうでもいいことだからそのセリフを吐く。

だけど、そんな男が孤独を抱えた女の全てを受け入れた時「構わないさ」という言葉が初めて温かい言葉に変わる。

改めて、サンドラ姐さんも鎮宇も素晴らしい役者だなと再認識できた。

セリフも演技も控えめで物語も地味なのに、人物の背景に説得力もあり、感情の想いを魅せつけてくれる。

そして物語自体もセリフが少ない分その少ない言葉が切なく、淡々と映し出す背景が優しい空気で包まれる。

プリクラに男の不器用な優しさが、ドアにささったままの鍵に男の女に対する想いが感じられるように。

物語前半で女は年老いた父親の為にコーラを買う。女にとってはかけがえのない唯一の家族だ。

無類のコーラ好きである父の身体を心配する彼女をよそに父親は「コーラは人生の喜びだ」と口癖のように言う。そのセリフは物語の道標のようだ。

女は男を待ち続ける。作った食事が冷めてゆくのを眺めながら・・・

彼女は夢を見る。彼が帰って来て彼女を優しく撫でる。

幸せな空気に包まれる。

でも目が覚めると彼はそこにいない。

だけど彼は確実に女の元へ戻った。男の想いがそうさせた。

そうして彼女の日常は孤独な日々に戻る。だけど以前より少しだけ前を見て生きるようになった。

物語の最後に、彼女はこれから自分の為にコーラを買う。そのコーラの味が彼女にとって、ささやかでもいい。人生の喜びであって欲しい。

そう願わずにはいられない。

2000年/香港

監督・脚本:葉偉信(ウィルソン・イップ)

出演:呉君如(サンドラ・ン)/呉鎮宇(ン・ジャンユー)/任達華(サイモン・ヤム)/萬民輝(エリック・コト)